2010年8月24日火曜日

中村宏展 練馬区立美術館


 図式化について考えますと、それには2通りあるとおもいます。いわゆる写生といわれるものと、頭の中のもの(言葉以外)を紙上に描き写すもの。前者はデッサン力(りょく)、後者は仮にマンガ力(りょく)によっておこなわれるとしましょう。ボッティチェリやボッシュや北斎のようなヒトは両方の力があるんでしょうね、。ミケランジェロやアングルなどはデッサン力にみえて、実はマンガ力です、ちがうかな。
 ドイツ語には、Zeichnungと言う単語があって、デッサン、イラスト、図面すべてを指します。いわゆるデッサンにあたる言葉がなくてフランス語からDessinを輸入したようです。絵描きの下書きを商品化したい画商にとって、図面と一緒にされては売りにくいですもんね。浮世絵画家が版木屋に渡した版下絵はあまり残ってないのではないですか、よく調べてませんが、急ぐ場合は線だけ描き、そこには色の指定が字で書かれていたのでは?たぶん無価値とみなされ、くずやおはらいになったのでしょう。
 へんに生兵法のドイツ語のマメ知をひけらかしたために、言いたいことが、めちゃくちゃになってきましたが、私はマンガ力がもっとあったらいいなと思うときがあるのです。ただ、写生のデッサンをしているときに、頭を通さず目から手へ直接指令をだしてる感覚になるときがあります。そんなとき機械になった気がします。
 中村さんの展覧会をみて、そんなことを考えました。


 タブロウ・マシン [図画機械] 中村宏の絵画と模型 練馬区立美術館
2010年7月25日〜9月5日
A.M.10時〜P.M.6時(入館は5時30分まで)月曜休み
一般500円 高大生および65〜74歳300円 中学生以下および75歳以上無料
9月5日 中村宏によるギャラリートーク 15:00より1時間程度

2010年8月23日月曜日

銀窯の銀継ぎ

 鈴木厚氏が陶芸を始めたのは、2004年5月の西荻「青猫」での個展の後だと思う。会場をあとにした西荻の赤ちょうちんで、焼き物の窯を買うと宣言していた。その場にいた彫刻家浅井氏、湯田氏に否定的なことを言われ、かえって発奮したのだろうか。
 このブログのリンクから鈴木氏のホームページをみていただければ分かるのだが、鈴木氏は石、木、粘土、油絵と扱う素材は多岐にわたっていたが、陶芸をはじめるまえは、もっぱら木彫に専念していたと思う。「青猫」での個展は3週にわたる期間で、なにか期する処があったように感じられた。
 おやじのいない世界はハレバレしてていいと、陶芸にドップリつかった最近の心境を語っているが、わかる気もする。鈴木氏と同じに彫刻家を父にもつ私も同時期に作品を写真で発表することを始め、写真関係のギャラリーで展覧会を開きハレバレしていたからだ。
 鈴木氏は、とりわけむずかしい磁器を主に焼いている。そのほとんどをインターネットを通じ独学でマスターしてしまった。と言うと簡単に聞こえるだろうが、磁器といえば、日本においてはその技術をうばうために朝鮮陶工を拉致してきたり、ヨーロッパにおいて初めて磁器を焼くことに成功し、その秘密を守るために一生幽閉されたドレスデンのベットガーなどの話がある。それだけ微妙なカンドコロをもったものなのであろう。鈴木氏の焼く磁器は極薄でそれに精緻な染め付けがなされている。染め付けの迷宮ともいえるものである、伊万里でもなく、中国でもなく、安南でもドレスデンでもない。鈴木氏はデューラーだと言ったが、なるほどデューラーだ、あのビュランで彫った銅版画の線に似ている。

 さて、この茶碗は外側にひまわりの絵が描かれているのだが、私が割ってしまった。そのいきさつは我が家の恥をさらすことになるので言うのを差し控えるが、私が悪いのである。(鈴木氏の前で、そのことでまた兄弟げんかを始めてあきれられた。・・・ということで察しがついてしまいますね。)とにかく鈴木氏に済まない気持ちがいっぱいで、銀継ぎして伝世品のようにしてやろうと思った。
 磁器なので、まず漆を割れ口にぬりトースターで焼きつけた。それから漆で接着。割れ方が単純なので楽だった。はみ出した漆を取る。面相筆で漆をぬり銀粉をまく。浮いた銀粉をとりさり漆をしみこませる。研ぐ。これをくりかえす。面白くなり3回くりかえし太くなってしまった。銅のように赤っぽく見えるのはまだ漆が透けてこないためだろう。

 このぐい吞み2つは日本橋高島屋での展示のとき買った。同じくひまわりの絵である。この染め付けは鈴木氏のものにしては単純な部類にはいる。その展示会では陶製の人形もあった、私はめずらしく他人の彫刻をほしいと思った。(彫刻をやってて、彫刻をほしいヒトの気持ちがわからないのは、私の仕事上の最大の欠点だとおもうのですが。)
 *今回、デス・マス抜きでやってみました。鈴木君の作品買うならいまのうちですよ、値がでてしまうかも。鈴木君、このぐらいでよろしゅうござんすか?

2010年8月11日水曜日

八重洋一郎 大全

 7月に、詩人、八重洋一郎の10冊目の単行本が発行されました。
これを機に2010年8月現在までの著作を単行本にかぎり並べてみました。
私の手元にあるものに限りますので完全ではないかもしれません。
 *2012年7月14日追記しました。



「素描」
1972年5月15日発行
世塩社
¥1200




「記憶とさざ波」 文集
1977年7月18日発行
世塩社
¥1800





「ハイセイ」
1985年6月15日発行
神無書房
¥2000
第9回山之口漠賞受賞





「青雲母」
1990年7月1日発行
七月堂
¥1600





「夕方村」
2001年2月20日第一刷
檸檬新社
本体¥1600
第3回小野十三郎賞受賞
第36回沖縄タイムス芸術選賞大賞受賞





「若夏の独奏 (ソロ」 文集
2004年11月10日第一刷発行
以文社
本体¥1600




「しらはえ」
2005年11月30日発行
以文社
本体¥1800




「トポロジー」
2007年1月10日発行
澪標
本体¥1600




「八重洋一郎詩集」現代詩人文庫
008年7月20日初版発行
砂子屋書房
本体¥1600




「白い声」
2010年6月30日発行
澪標
本体¥1600






*参考

「岩野亮介 私の彫刻写真帳」
解説文
2008年10月20日発行
彩樹社
本体¥3500




2010年8月8日日曜日

撮影現場

 人像の撮影は、たいてい一人でやっていたのですが、この日は同僚のN氏が手伝ってくれました。台風の関係で風が強く、人像が倒れてしまい、指を2本折ってしまいました。N氏がコンビニで瞬間接着剤を買ってきてくれたので,撮影を続けることができました。1人だったら、そこで撮影中止でした。
 2004年8月5日です。場所は二子多摩川の川崎側の河川敷です。


  このベタ焼きはN氏の撮影によるものです。風がなければ自立しているのですが、この日は垂木を拾って、つっかえ棒にしました。いちどコンクリートの上で倒し鼻を折ったことがあります。つぶれた状態で折れた鼻の部品を、水を入れた小皿の中に入れ電子レンジでチンしました。檜がヤニを吹き出しながら元通りの形にもどりました。
 首、胴体、足の部品を現場でねかせて組み立てるのですが、そのありさまは上映禁止のシーンと似てますので手早く済ませます。通報されかねませんので。

マミヤ ワイド

 もうひとつ、私のマミヤプレスのシステムの一つをご紹介します。手作りカメラの定番である中判のワイドレンズ付きカメラです。手作りと言ってもレンズをガラスのかたまりから研ぎ出すわけはありません。これは、、ワイドレンズのもつ焦点深度の深さと、中判フォーマットがもつ寸法誤差の許容量の大きさ(自作しやすい)を組み合わせた、ピントあわせ目測式のカメラです。距離計やミラーボックスがないぶんコンパクトになります。



 ボディー側に接写リングを切ったマミヤプレスマウントの♀をネジどめしてありますので、レンズ交換式となっております。写真ではセコール65ミリf6.3がついています。このレンズはトポゴン型で歪曲0ですが、周辺光量落ちは知ったこっちゃないというタイプです。まあ、このレンズを作っていたころはリバーサルフィルムのことは考えてなかったのでしょう。
 これで撮った写真をごらんください。

青空娘


 印画紙よりスキャンしました。周辺光量落ちは引き延ばし作業ですこし相殺されてるようです。歪曲0だともうしあげましたが、こうしてみるとタル型の歪曲がありますね、おかしいな。いやいや、鉄格子と右の建造物が同じ面にないですね、角度がついてます。やっぱり歪曲0です。
 私の作品をご存じないかたにご説明しますと、この写真が最終的な作品で,写ってるO.L.は、私のつくった木造の人像です。ペンキを塗ってあるので木部はみえません。等身大で関節が曲がるのでふつうの服が着られます。
 詳しくは、拙著 ”私の彫刻写真帳” をごらんください。