2014年12月8日月曜日

ががりのレストア

仙台の方から建具屋さんが使っていた道具の中からガガリをひとついただきました。


道具の使われていた場所と鋸のアゴの形からいって会津系統の鋸鍛冶と推測し、堤 章著「会津の鋸鍛冶」を見てみました。中や重久と読めましたが判然としません。そうだとしてもこの鍛冶屋の詳細は分かりません。状態もよく使用を目的として修理するに値すると判断しました。
橦木型にすがっていた柄もよくできていたのですが、これはこれで取って置き、柄は新調することにしました。

カサブタになった錆のかたまりを尖った鎚で粉砕する。その後、ビブラペン(刃先を丸くつぶしたもの)でさらにサビのかたまりをつぶしていく。

ゼンマイのような物でサビをこそいでいく。私が使っているのは石膏細工用のヘラ。研磨材の類はまったく使いません。

錆落とし終了です。タチの悪いサビではありませんでした。
裏面に「千」の字がありました。玉鋼の等級である「千草」を使用したということでしょう。

歯先の「ならし」、歯の通り縦挽きなので直線に近い中低
そして、歯底を揃えるためダーマトで白く線を引いた。

内目をすってから。外目をする。ならしのヤスリが消えるまで。
自分でできるのはここまで、あとは三茶のノボさんに板の歪みとアサリのチェックを頼んでみます。




その後、三茶のノボさんが板の歪みとりをやってくれました。
柄をこしらえます。

旋盤で両センターにして3mmのドリルを貫通させた後、一分のノミで穴あけ。



完成、いままでのガガリの橦木の柄の中で一番短く、太くしてみました。












参考までに、以前に桐だと手のあたりがいいだろうということで、
桐の柄にノコが入る穴の補強にケヤキの楔を使いました。






2014年10月29日水曜日

自家製珈琲焙煎器


リサイクルショップで500円の深い鉄鍋 をみつけました。
CDプレーヤー捨てたとき取っておいた側板が役に立ちました。




珈琲焙煎器です。
銀杏はもちろん、冬はストーブで芋が焼けると思います。











2014年10月19日日曜日

柳橋と姪

下書きのデッサンを残す方法を思いだし、デッサンを写真撮影。線を褐色にしたあと同じ紙にプリント。
水張りののっちに水彩にしようと思います。しかしこの紙、顔料プリンターに合うなぁ・・・高い印画紙いらないかも。
maruman の COTMAN の青です。






















2014年9月12日金曜日

R.W.計画 仙台

仙台に来てます。






中華そば「志のぶ支店」まえ。


















遠刈田温泉にて。












松島にて。





2014年8月31日日曜日

第43回 齣展(こまてん)終了しました。

出品していた 第43回 齣展(こまてん)終了しました。
来ていただいた方々、ありがとうございました。










2014年8月20日水曜日

展覧会に出品します





第43回齣展(絵画、版画、立体)
8月21日(木)~8月30日(土)
初日のみ 午後2時開場
最終日は12時まで入場受付、午後1時終了

上野公園内 東京都美術館(2階第3展示室)

入場料500円
学生、65才以上、身障者の方、付き添いの方1名は無料


2014年7月12日土曜日

R.W.計画 頭頂部の植毛の改良


頭頂部の毛はいったん上へ向かって生えなければいけないのに気づき、日本人形(おかっぱ)のやり方で、つむじ近辺に2ヵ所穴を彫って埋め込んだ。


最初、ニカワでやろうとして失敗。
ゴム糊にかえて毛の元を固めた。

10mm径の穴に差してゴム糊で固定。

新しくできたツムジです。





2014年4月13日日曜日

R.W.計画 時間をさかのぼるこころみ 2


植毛を終えようとしてます。

かなりの毛の量を「ざん切り」するには明治期のようなごついハサミが必要だったのがわかります。理容技術が発達してなかった時代です。
結局 、ボブ・カットは「ざん切り 」ですので、美容師さんの動画を見ますと奥の方(下の方)から順に少しづつ切ってい
くことがわかりました。

下が明治初期の平作の理容鋏です。


これ、マツゲまだ。









完成、そして試写。

























2014年4月12日土曜日

R.W.計画 時間をさかのぼるこころみ 1

まえに等寸の人像彫刻をつくるにあたって寸足らずになってロスになってしまった部材がありましたが、これを救済しつつ少し若い時の感じを出そうと思いました。
もとより彫りすぎて小さくなったのではなく最初の木取りの設定が間違ってたわけですが漆を使って盛っていくこととしました。


生漆で木地を地がためしたのち、漆にヒノキ木粉、水・小麦粉少々を練って盛っていきます。首と後頭部には麻布を貼って寸法をかせぎました。


一度に厚く盛ると漆が乾きませんので、盛って削るのをくりかえします。盛れるのは2〜3ミリずつです。


前作の頭部とならべたところ。

今回は中から眼球を仕込みますので後頭部に窓を開けます。
レーザー・ポインターを使って分断するスミをしてます。

レーザー・ポインターのスミは正確でした。

眼球を後ろから押さえるバネを作ってます。
替え刃ノコの刃をなまして切断し、焼き入れをして漆をトースターで焼き付けてます。
ところがこれは失敗。替え刃ノコの刃はかなりハイ・カーボンですね。調整するときにことごとく割れてしまいました。油で焼き入れ焼き戻し、さらに漆焼き付けのときにも焼き戻しになってるはずですが。。。

結局、左のステンレスで作りました。手前は失敗したハガネのバネ。

眼球がバネでおさえられている様子。
これにより、前面から眼球の向きがかえられるしくみ。

眼窩を穿ったようす。

イギリスのハンブロール社のエナメルが入手困難になってきたので、パレスペイント社のエナメルにのりかえました。とても使いやすいアミノ・アルキド樹脂塗料です。
1〜2層目は光沢のまま、仕上がりはつや消しにしなければなりませんので鉱物顔料を足していきます。

前作とならべました。若いかんじになっていると思います。
前作は眼球は彫りだしで動きません。




2014年2月28日金曜日

修正


こないだ集合写真を撮って気づきました。

口元が固かったので、修正しました。
今まで撮ったのダメだなこりゃ。








2014年2月9日日曜日

名工國弘とオイレ鑿 そして國行

ある晩、夕食時にNHKの「お江戸でござる」を見ていて、ハタと膝を打って独りで興奮したことがあります。いつもの芝居のあとの解説で杉浦日向子さんが「江戸時代は老入と書いてオイレと呼んで、隠居のことをさす言葉だった。」と教えてくれたのです。
この話しで、土田一郎さんが口伝で聞いていた「大工はオイレ鑿が作られる前は叩きノミの使い減ったものを肉まわしを削って造作用鑿に転用していた。」ということを思い出したのです。
つまり、江戸時代に老入鑿(オイレ鑿)とよばれていた、叩き鑿がちびて本来の用途に支障がでてきた物を改造して作っていた造作用の鑿を、明治になって最初から軽快な鑿として製品化するにあたって、いかにも中古のような老入という字を避けて「追入鑿」「押入れ鑿」などの字を当てたのではないか、ということです。

最初にオイレ鑿を製品化したのは國弘だと言われてますが、この國弘の造形センスたるや、鑿においては千代鶴でさえその枠の中から逃れられなかったほどです。
オイレ鑿は持っていないのですが、突き鑿が一本あります。



一寸八分突き鑿 正幅: 41.5mm 首:3寸 コミ:1寸4分

この突き鑿はかなり古い時期の國弘ではないかと思ってます。「天」の刻印がありません。古物市で國弘より一世代前の越後の幸道あたりのものだと思って買ってきて、家に帰ってから國弘だと気づいたぐらいです。ハガネに雲がありますが、焼きが甘いというのではなく、材料のハガネに低炭素のものが混じっていたのでしょう。

最盛期になりますと國弘は突き鑿に限ってはコミの長さが一寸九分ほどになるはずです。下の八分の突き鑿は叩いた傷がひどく國弘とは判別できないのですが明治初期の鑿だとおもいます。
八分突き鑿 正幅:23mm 首:4寸 コミ:1寸8分








はなしは変わって、1995年の4月、東郷神社の古物市でのことです。そこで鑿袋にくるまった見るからに古風な柄のこしらえがついた鑿群がありました。中に國弘のような鑿があったのです。店主はまとめて売りたいとのことでその場では断念しました。
國弘の「天」のような刻印なのですがチョッと違う、これを憶えていて図に描きおこし土田さんに見せましたところ「國行です。」とのこと。ことの重大さにガクゼンとしました。國行は父・國弘の工房で製造の大きな部分を占めていたらしいのですが夭折したので自分の國行銘での製作はごく短期間だったそうです。土田さんも鑿一本見たきりだそうです。
翌週の日曜日の早朝、その店主が出店している花園神社に出かけて店主が荷をあけるのを待ちました。「そんなにあわてなさんな、桜でも見てさ」って言われたってそれどころではありません。中古道具としては高額でしたが鑿袋一つ分を手に入れました。中に石堂寿永とおぼしき廣鑿もあったので筋のいい大工さんの道具だったのでしょう。

1寸四分オイレ鑿 正幅:41mm 首:1寸5分 コミ:1寸
(コバが使用者によってスられています。)

これがホントに國行の鑿であるかどうかは確証ありません。國弘の弟子筋は「天」を用いずに「大」の刻印を使ったそうです。「大」の刻印の鑿がもう一本あります。

一寸八分廣鑿 正幅:52mm 首:2寸一分 コミ:一寸三分

1998年の6月に川越の古物市で買った物です。これはあきらかに焼きが甘いです。が、姿としては國弘近辺の製作者とみていいでしょう。
柄にすがった状態で列べてみます。

ここらへんの事実は「大・國行」と刻印されたものが発見されれば明らかになるでしょう。國道の「大」は分かっています。列べてみましょう。
一番上が東郷神社のオイレ鑿、中が川越の廣鑿、下が國道の鉋です。
トレースしてみました。
同率の拡大です。左が東郷神社のオイレ鑿、中が川越の廣鑿、右が國道の鉋です。

新たな発見が待たれます。



*追記 (2015年8月21日)

友人が「大」の字の刻印された鉋を入手したので写真を撮らせてもらいました。國義と読めます。面(おもて)のコバ近くに登録の刻印がありますから國行の時代の物ではないようです。



私のノミの「大」の刻印とも違うようで、内心安堵しました。


また、トレースしてみました。