2016年9月24日土曜日

RW計画 写真館に行く

展覧会用の作品作りに、川崎にある三陽会館サンヨーフォトスタジオに姪を連れて行きました。

もとは結婚式場もやっていたそうです。


衣装も豊富で、色々な撮影に対応しているようです。
初回は成人式仕様の着物姿でお願いしました。初回と申しますのは、2回に分けて行ったためです。


すべて、写真館のスタッフにおまかせです。着付けの先生です。「この人、文句言わなくていいわ」と言ってくれました。私の仕事は姪を立たせることです。

姪が意外に大きかったので着物が小さく、おはしょりがきれいに出なかったのが着付けの先生の悔いが残るところだったようです。

写真館の社長と私。社長は妥協を許さないマイスターです。


データでもらって帰りました。家のパソコンで開くと写真館のカメラの解像度にビックリしました。デジタルの最先端はここまで行っているのかと。




2回目の撮影日です。こんどはお見合い写真仕様。
1回目の撮影の経験から、ゾウリと足袋を購入して準備万端でした。しかしこの日は立たせるのに難儀しました。後で分かったのですが、膝のボルト穴がじょじょに木ごろしされていたようで、ネジの切ってないボルトの円筒部までねじ込まれていたのです。これはひとまわり短いボルトに換えて、今は解決してます。




もらったデータは、ほとんどいじる必要もなく、家のエプソンの顔料プリンターとマット紙で試し焼き。

データと試し焼きプリントだけ持って、新宿にあるエプソンの貸し暗室 (epSITEプライベート・ラボ)に行ってきます。


家と同じタイプの顔料プリンターに、同じ紙でしたので、A4の試し焼きを1枚やっただけですぐに幅660mmのロール紙の本番へ移行。




第45回齣展での展示状況です。

上下の余白を含めた長さがエプソンでの料金的な単位でしたが、それがちょうど掛け軸風の形態になりました。スチレンボードで裏打ちしてあります。
これで同時に二つの年齢差の個体がいることがわかってもらえると思います。












2016年9月17日土曜日

第45回 齣展 ありがとうございました。


第45回 齣展が無事終了しました。
お出掛けくださいまして、ありがとうございました!










2016年9月13日火曜日

” 業界一の働き者 ” 製作記 その5完成


塗装にはいります。


カシュー(透き)で地固めしたのち、いつものパレスペイント社のエナメル塗料で塗っては研ぎ。光沢を残した塗料で始めて、じょじょに顔料を足して艶消しにしていく。
左は水ペーパーを両面テープで指に貼って研いでいるところ。右は水ペーパーをベルト状にしての研ぎ。

研ぎの最終ぐらいの状態。
凹の部分を主に研ぎ、高いところはデコボコが残るのが望ましい。入り隅は塗料が溜まるので、塗るたんびに刃物で掘ることが必要。

腕の仕上がり近い状態。

最後に上マツゲを植える (下マツゲは手描き)。
使っているのは下マツゲ用のツケマ。ビニールの支持体が光るので黒糸を添えておく。細かく切ってゴム糊で接着。


シャツを作る。私のシャツを着せてみてパターンをとった。

搬入前日、近所の知り合いの植木屋さんがおとずれる。
御大と三人でお茶。

東京都美術館に搬入を済ませる。


陳列までに時間があるので指輪を作った。







第45回齣展での展示状況。






2016年9月12日月曜日

” 業界一の働き者 ” 製作記 その4


頸が細いのに気づいたので材を部分的に取り去り別の材料で補います。同時に腕を作って全身揃いました。

定規類ではスミが引けないのでレーザー水準器でスミを出して鋸で挽く。後頭部はメンテナンスのために手が入るようにする。

頸部のテーパー円筒をひとまわり太くするために別の材を接着する。

没になった頸部のテーパー円筒をうける胸の部品(左)とテーパー円筒。
右が新しく作った胸の部品。

腕の部品。

肩の半球2個を挽く。

手の荒彫り。

静脈の位置もできる限り近づけた。

ほぼ彫りの終わった頭部。
頸に足した箇所の目違いの段差に木屎を足したのが黒い部分。

涙腺の箇所が内刳りまで届いてしまった。
メンテできるように後頭部を開けておいて良かった。
この穴は後ろからエポキシパテを補填しておいた。

すべての部品が揃った。

いや、肝心なものを忘れてました。




2016年9月10日土曜日

” 業界一の働き者 ” 製作記 その3



大腿部のつけ根の180mmの半球を旋盤で挽く。
バイトが届かなかったので鑿の刃を改造。

挽きおえた180mmの半球。

このように収まる。今までで最大の径。

PC上で作るべき足の寸法を出す。

大腿部の部品です。アルミの金具は膝下を前後に動かすもの。


大腿部を締め付けてポーズを固定させるボルトの穴を開けてる。これは球のセンターを通らなければならない。大腿部のつけ根の凹側からすでに開いていて、逆に大腿部の方に貫通させる。

大腿部のセンターに収まる真ちゅうの球で、それをボルトが締める。

ここでちょっと新木場まで材料の買い足しに。
頭部と手は尾州ひのきで、他の部分はこの米杉。

脛になる材料にのバネが通る穴を開ける。
ボール盤で両センター加工。

脛の荒彫り。


足先の加工。

初めて自立しました。
ここで欠陥に気づきました。頸が本人より細くなってしまいました。これは直さなくてはいけません。





2016年9月9日金曜日

” 業界一の働き者 ” 製作記 その2



胸部の材料の用意。

頸を受ける部品の収まる部分の切り欠き。
ドリルスタンドを使ってのさらい。

胸部の荒彫り。

腰の部品の用意。
胸部とつながり腰を曲げるための球を彫りだしているところ。

腰と胸部のとりあいのすり合わせ。

左右に分かれた胸部の部品が頸を受ける部品と腰部の球を締め付け、ちょうど三脚の自由雲台のように固定する仕組み。

上半身ができたので並べてみる。
白い紙の上端が目標とする身長である165cm〜167cmの足の裏の達する位置になる。コンベックスの0cmnの位置は写真のパースでずれているが頭頂にある。




ところで、ジェームズ・ブラウンのキャッチ・フレーズである「業界一の働き者」: "The Hardest Working Man in Show Business"というのは、たぶん伝説の英雄線路工夫・ジョン・ヘンリーへの憧憬ではないでしょうか。
ジョン・ヘンリーが蒸気釘打ち機と競争して力尽き息絶えたところは、現役のままコンサートの予定を残してこときれたJBに通じます。
こじつければ、ジョン・ヘンリーが労働英雄としてCPUSAの冊子の表紙となるかたわら、ニューディールでもシンボルとなったことは、JBが体制と反体制を行き来したことにも似てますね。フォーク・ヒーローでありたかったんでしょうね。
Scott Reynolds Nelson
著の「STEEL DRIVN' MAN - JOHN HENRY」によれば ジョン・ヘンリーは軽い犯罪に関わらず重い懲役を下されてしまったのであって、それもJBと同じです。ジョン・ヘンリーの時代は奴隷に代わる労働力の確保という意味合いから囚人の強制労働があてにされたという事実があるようです。私は原書を直接読めるわけではないのですが、「BLUES & SOUL」のNo.122「ブルースと鉄道」でも紹介されています。デズニー・アニメの大男のジョン・ヘンリーと違って、著者が突き止めたジョン・ヘンリーさんは小男です。



あと、この記事は、Scott Reynolds Nelson 著の「STEEL DRIVN' MAN - JOHN HENRY」の書評だと思われます。
https://www.wsws.org/en/articles/2007/05/john-m15.html